人生BADハマり

東大卒アスペ傾向Web系エンジニアの人生戦略

やりたいことが見つからないなら「退屈」と向き合ってみては

要旨

  • 仕事で繁忙期をサバイブしたら案外楽しく、刺激に飢え退屈している自分を発見した
  • 「やりたいことが見つからない」のは、「見つけなきゃ幸せになれない」と焦っているからではないか
  • 退屈している自分と向き合い、いかに退屈を凌ぐかを真剣に考え抜くことがやりたいことを見つける鍵になりうる

前置き

さて社会人4年目に突入し1ヶ月が過ぎました。4月下旬にプロジェクトの締切を抱えていたので、3周年の感慨に浸る間もないままこの時期になってしまいました。

弊社は自社サービスの運営が主なので、普段は良くも悪くも納期にシビアではなかったりします。クオリティが未達ならリリース日を延ばそうという判断になることが多いです。ところが今回締め切りがきっちり決まっているプロジェクトに私の記憶では初めて従事することになり、1ヶ月半ほど仕事のことばかり頭にある状態が続きました。

キャリア的にとても濃密な経験が出来たことは言うまでもありませんが、人生観というと若干大げさですがそちらにも価値観の変化をもたらしてくれました。入社3年目に突入した時も同じような話題でblogを書きましたが、その続きのようなものです(この記事を読んでいなくても本記事は読めます)。

nearnoah.hatenablog.com

「どうせ家帰ってもやること無いし……」

弊社はエンタメを扱う会社ということもあり、仕事をしながら趣味でコミケに出展したり、休日にイラストや自作曲を作っている人も珍しくありません。一方私は技術力もまだまだ未熟な上創作もほとんどやっておらず、仕事も趣味も(少なくとも主観的には)パッとしない状態が続いていることにコンプレックスを抱いていました。

私はアスペルガー傾向ということもあってか「全か無か思考」をしがちです。「趣味が充実していなければ幸せになれない」「ただ生存するためだけに仕事をするのは無意味だ」と思っている節がありました。どうにか趣味を充実させようと色々手を出してはいましたが、そこまでハマれるものは未だに見つかっていません。

さて仕事が繁忙期に入ると普段しない残業を珍しくするようになり、ほとんど誰も居ないオフィスで22時や23時、時には日付が変わる辺りまで働いてから帰ることもありました。今書いたように「趣味が充実してないと意味ない」という考えではこんな状況到底耐えられるものではないはずです。ところが私の感想は真逆でした。

「どうせ家帰ってもやること無いし、仕事してた方が楽しくね?」

そんな言葉が自然と脳内にちらついたのです。そして気づきました。

「自分はやりたいことが無くて心底退屈していたんだな」と。

どうせ家に帰ってもやりたいことなんて無い。少なくとも仕事は「退屈凌ぎ」には格好のネタだったのです。

「退屈を凌ぐ」という自分軸で問題を再定義する

繁忙期を通じて、「何者にもなれない」「個としてのブランディングを確立できていない」というコンプレックスを抱えると同時に、どうしようもなく退屈している自分がいることを発見しました。

誤解を恐れず言えば、自分がこれだけ仕事をしていたのって暇だからだったんです。忙しいという感覚がない。実際この1ヶ月半「忙しい」と呟いたことは記憶の限りでは皆無です。

仕事が落ち着いて今回感じたことを反芻した結果、「ハマれるものがないと幸せになれない」という命題の根底を構成する考えとして、「周りは皆趣味を充実させているよ」「趣味を充実させなければ幸せになれないよ」といった、脳内で勝手に作り出された同調圧力のようなものがあることに気づきました。これでは他人基準で幸福を定義してしまっています。そこから解放されて、単純に「私は心底退屈している」「退屈な日々を少しでもマシにしたい」という自己完結した・自分軸なモチベーションにすり替えるというライフハックを覚えました。

やるべきことは今までと変わりません。「今やれることの中で一番暇つぶしになりそうなこと」を探してやっていけばいい。ただその根底にあるモチベーションが「周りは自分のやりたいことをやって幸せになっているが私はそうではない」という他人軸から「とにかくこの退屈を凌ぎたい」という自分軸に変わることで、より素の自分を解放し、興味のアンテナの感度を高めることが出来るのではないかと思います。

だから最近は「いかに退屈を凌ぐか」ばかり考えてます。

「いかに退屈を凌ぐか」を常日頃から考えるの、他人依存的な生き方に比べればすごく自分本位で健全だと思うのです。「退屈だ」「何か面白いことないの?」という発想は義務感がない。自分が退屈でも誰も困りませんからね。

今後の展望

新卒入社から3年経った今思うこととしては、まだまだ技術的に未熟な一方で、いつまでも「淡々と目の前のタスクをこなして技術力を上げていこう」と言っていても幸福度は上げられないということ。自らやりたい仕事、今必要だと思う仕事を提言し主体的にキャリアパスを描いていくことで、より「退屈を凌げる」ワークスタイルを自らの手で確立していく必要性を強く感じています。

プライベートの時間の使い方も再考しました。三度の飯を忘れて没頭出来るようなことはそんなすぐには見つかりませんが、暇潰しにはなり得るレベルのやりたいことは幾らでも挙げられます。アニメ鑑賞、技術書を読む、世界史・地理・数学・語学学習、DTM、ランニング……。ただどれが最も退屈凌ぎになるかと考えた時に、暫定解としては「速攻で大きなフィードバックが返ってくること」がポイントになると思いました。具体的には技術書を読むのが良いと考えています。というのも技術書を読む→技術レベルの底上げになる→仕事が出来るようになる→社会に与えられるインパクトが大きくなって楽しいからです。

確かに語学なども楽しいですが、すぐに何かの役に立ったり社会に大きなインパクトを残せるかというとそうではありません*1。またフィードバックの早さで言えば音ゲーなどのゲームが筆頭候補に上がりますが、正直音ゲーは今かなりモチベーションがダウンしており、今年も2月以降はほぼプレーしていません。一時期はBMS発狂皆伝も目指そうかな?と思っていたのですが、それをやったところで結局社会に与えられるインパクトとしては弱くて以前ほど魅力を感じなくなってしまいました*2。自分の今の価値観では、社会にインパクトを与えることが最も楽しさを左右するファクターのようです。

もちろん一つのことにドハマり出来るほどの状態でもないので、実際は技術書を読みつつアニメも観たり、投資に関するYouTubeや本をチェックしたり、DTM関連の本を読んだり、健康維持も兼ねて走ったり、たまたま何かハマれるものが見つかれば臨時でそれをやったりと、柔軟にポートフォリオを変えていく感じのイメージでいます。特に最近はリモートワークで家に居る時間が圧倒的に増えたので、部屋の掃除や椅子の新調など環境構築にハマっています。

そんなわけで社会人4年目は「退屈」と向き合うことをテーマにやっていこうと思うのでした。

*1:そういう仕事に就くのが目標なら話は別ですが

*2:目指している人を批判する意図で書いているのではありません